「国民の声」に関するモヤモヤを考察する(前編)

 

本会議と委員会

我が国の議会制度は、「二院制」で「委員会制」を採っています。
「二院制」については、ご存じのとおり「衆議院」と「参議院」ですが、「委員会制」についてはよく知られていない部分もあると思います。

賛否が割れる法案でマイクを奪い合ったり委員長が揉みくちゃにされているのをニュースなどで見たことがある方も多いと思いますが、たいていそれらが委員会です。
また、プラカードを振りかざしたりしているのも委員会です。

http://www.eda-k.net/media/movie/201206/20120625b.html

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委員会は「常任委員会」と「特別委員会」があり、「常任委員会」は分野別に所管する事項を審議します。

おおまかには、各省庁ごとに委員会が設けられているとイメージしてよいと思います。
経済産業省が管轄する産業などに関する事柄は経済産業委員会、教育に関する問題は文部科学委員会、といった感じです。

「特別委員会」は個別案件毎に設置される委員会で、イラク特措法などは特別委員会を設置し審議しました。

衆参本会議に上程される法案はまず、所管委員会に付託され、審議の後、採択・不採択を決します。
委員会での審議結果を委員長が本会議にて報告し、その通り決するかを本会議で議決します。
委員長報告への賛否は概ね予め判明しています。
つまりは、本会議はセレモニーであって、実はその前段階の委員会が実質的な審議の場となります。

よく、本会議場で熱く論戦を交わしている映像はよく目にすると思いますが、あれは態度表明や意見発表のようなもので、実際に本会議場で議論をしているわけではないのです。
細かく言えば予算や条約、不信任案や問責決議案など、衆参でもいろいろ違いはあるのですが、だいたいのイメージはそんなところです。
ただ委員会審議を経て経て端から結論が決まっているので、本会議では眠くなってしまう議員が多いのは衆参共通です。

http://girlschannel.net/topics/379625/

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野党の見せ場だった委員会採決

今回の安保関連法案審議のクライマックスは、参議院での特別委員会採択であり、国会法の手続きに則って採決をしようとする委員長席を護る与党議員に、平和と民主主義を訴える野党議員が実力行使して襲いかかる姿は多くの国民は呆れ果てたと思います。

http://blog.goo.ne.jp/furunokawamasanohiro2014_2014_/

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そもそも、参議院に送られた法案は60日以内に結論が出せなければ、再び衆議院に送られ衆議院で安保法制賛成派が2/3を超えている以上、間違いなく可決成立します。
つまりは、テレビの画的に盛り上がるから野党もパフォーマンスに精を出したに過ぎません。
きっと衆議院の委員会でのプラカード作戦がみっともなさ過ぎたので、日ごろより衆議院にライバル意識を持っている参議院議員たちはもっと直接的な採決妨害を選んだのでしょう。

結局はどうあがいても法案成立は免れないので、せめて議決が非民主的かのように演出し、政権批判につなげることが野党の目標でした。
その為には暴力的な演出が一番画的にわかりやすいので、あのような顛末になったのです。
ただ、衆議院の不評に終わったプラカード作戦の反省からか、良識の府である参議院では、ちゃんと「与党が暴力的に採決をして、自分たちは被害者である」という事後フォローも忘れませんでした。
考えてみれば、与党側は粛々と採決すればよいだけなので、委員長のマイクや原稿を奪おうとする野党側にしか暴力に訴える動機はないのですが。

ただ、そんな野党の議員たちには国会の外にいる「国民」の力強いエールがありました。

国会前に集まった「国民の声」?

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/

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一方で国会前では安保法案に反対する熱き志と正義感を持った若者や主婦、高齢者が野党にエールを送り、太鼓を叩き、警察官をどついて逮捕されたりしていました。国会前に大挙して集まった平和を訴える紳士淑女たちはマスコミや反対派の野党を多いに勇気づけ、「国民の声を無視するとは何事か!」と政権批判の大義名分として使われました。

しかし、私たち国民は昨年12月の選挙でそれぞれの政党または候補者に信を任せ代表に選びましたが、デモに集まって目を血走らせているアカの他人に意見を代弁してくれるよう頼んだ覚えはありませんし、「国民の声」などと名乗られる筋合いはありません。
若者だって、SEALDsなぞに勝手に代表されるいわれはないでしょう。
もっと言えば、新橋で飲み屋に行くサラリーマンが企業人代表でもないし、商店街でお買い物中の主婦が子育て世代の代弁者でもありません。
どちらもただ「(テレビカメラに映る)その場にいた」というだけで、統計学的に認めうるだけの声を拾わない限りは「○○の声」「××の代表」にはなり得ません。

 

大部分のマスコミやコメンテーター、野党議員たちは、安倍総理を憎悪をこめて「アベ」と表記し、安全保障関連法案を「戦争法案」と呼び、自公政権を「ファシスト」「ナチス」と中傷するデモ集団に大変好意的です。
だからこそ、彼らの声を「国民の声」と臆面もなく称したのでしょう。

しかし、少なからぬ国民は彼らの振る舞いや一方的な主張に嫌悪感を抱いています。
かの学生の主張などは明らかに感情的で稚拙だし、実際に遭遇するとデモ参加者にもある種の狂信的な恐怖を感じます。
少なくない一般人は、太鼓の音頭に合わせて叫ぶ単なる悪口や、奇妙なリズムでの抗議などに、言い表し得ぬ違和感を感じます。

 

それにも関わらず、さも当たり前のように私たち国民の代表者として扱うマスメディア。

それを「国民の声」と言い切り、自らの恥ずかしい行動を正当化しヒロイズムに浸る野党議員。

このモヤモヤ感の正体を、次回考えていきたいと思います。

「国民の声」に関するモヤモヤを考察する(後編)はこちら

 

G30

G3030代地方議員

投稿者プロフィール

現役の若手地方議員。世の30代男性と変わらない漠然とした不安を抱えながら公務に携わっている。「匿名ならちったぁ面白いことを書けるのではないか」と見込まれてライター陣に誘われる。気弱だが保守系だ。

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