保育をめぐる騒動を見ていて思う。

最近の保育を巡る騒動を見ていて思う。

0歳や1歳の子供を施設で育てることが当たり前のように最善とされていることに、そもそも疑問を持たないといけないと感じます。
保育園はもともとは生活保護と同じ、セーフティーネットです。最後の命綱。
だから、そのような状況にある場合は(そのまま放置すると死んでしまうから)自治体は助けなければならない、と法で定められました。自治体に保育園の整備義務があるのは、セーフティーネットだから。生まれたら当然のようにポンポン預けるような制度設計にはそもそもなっていません。希望する人を全員受け入れるなんてことを想定している構造ではないのです。

それがいつしか「権利」となり、保育して当たり前という風潮になりました。
もちろんセーフティーネットとして位置づけているのだから、誰でも当たり前のようにポンポン気軽に預けられるような流れになれば、施設も人員も足りなくなるのは火を見るより明らかです。そのような趣旨で作られたわけではなく、あくまで貧困に陥らないためのセーフティーネットだったのですから。

 

都内で1人の0歳児を1ヶ月預かるのにかかる行政コストは約60万円。

男女に関わらず、保育園に預ける年齢の子をもつ世代で、今どき手取りで60万円稼いでいる方はそうそういないと思います。

パートで17万円くらいを稼ぐために、行政コストが60万円かけるのも考え物のような気がします。
後にも述べますが、仮に15万円ずつ直接給付すれば、1人分の保育料で4人分を賄えてしまいます。

都内では場所も中々ないし、地価も高い。苦労して場所を見つけても、近隣住民が反対運動を起こして頓挫したりします。
私の携わった事例でも「待機児童ゼロ」をうたう共産党の支持者の方が、近所に迷惑施設をつくるな!と近隣住民を巻き込んで騒ぎたて、結局園の定数を30名も減らし規模を縮小して建てることになりました。

そのような環境の中でも、都内のある区では4年間で1000人単位で保育定員を増やしました。
4年前に数百人いた待機児はなぜか1000人単位で増員してもなお100人増となりました。
「預けられるなら預けとこう」「あるなら預けなきゃ損」みたいなノリで、自宅で開業医をやってるご主人を持つ専業主婦が、保育園に申込書を書き、待機児童にカウントされます。
「保育園落ちたの私だ」というプラカード持って国会前で騒いでいた吉良参議院議員の年収は約3000万円、旦那は1200万円。世帯年収4000万円超ですが、保育園に申請したそうで、当然落ちました。待機児童の統計には、こういう人たちも含まれています。

正直、「議員や行政は何もやっていない」とか言われると、「お前は何も考えていない」と言い返したくなります。
女性のライフ・キャリアを全く理解せず、結果として国力を衰退させ、最後は自らの首を絞めているのは、あなた方がお勤めになられている企業です。
「給料が上がらない」というのも、自分の仕事に自信があるのであれば、総理大臣にぶつける前に、社長なり部長なりに言ったほうがいい。
会社はお金をくれるけれど、国はお金を巻き上げるから、単純にお金の流れに思考も流されているのだと思います。

企業勤めである以上、あなたのお給料を上げるも下げるも、権限を持っているのは国ではなく経営陣(もしくは株主)です。
会社があなたに活躍して欲しいと願っていると自信があるのであれば、会社に保育所を作れと言ったっていいはずです。

「税金払っているのだから、当たり前だ」と言われるかも知れませんが、保育園にお子さんを預けていない人も等しく税金を払っているので、その発想は間違いとまでは言いませんが、思慮は足りないと思います。
その視点を正当化してしまうと、お子さんを家庭で育てている方、お子さんがいらっしゃらない方から「なんで私も税金払っているのに、あなたの子どもの保育に月60万円も使われなければならないの?」という話になってしまいます。

現実に、保育園に預けている人と預けていない人との不均衡の問題も出てきていて、在宅で子育てをしている家庭にも支援を拡充しなくては、という議論もなされています。
ある区ではもちろん保育拡充もかなりやっておりますが、並行して在宅子育て家庭への補填的支援拡充も予算化しました。
保育問題は社会の在り方、家庭の在り方を問う哲学的、倫理的な側面もありますし、経済学的な要素もあります。
そういったものを全てすっとばし、

「私が活躍できねーじゃねーか。日本死ね」

という感情論だけ、憎悪と無知を剥き出しにしたみっともないブログが話題になっているのを見ますと、何とも情けない気持ちになります。
誰が書いたのかなんて知りたくもないですが、このような下品の極みであり、普通の良識人なら表に出しようもない文章に乗っかってしまう大人がいることが、絶望的な知性の退廃を感じさせます。

人の親が書く文章ですか。

子供が物心ついたときに、自分の親がこんなことを書いていたと知ったら、どう感じるでしょうか。

子ども(自分)を預かってくれないから死ね、と。

 

保育はセーフティーネットです。

働かなくては育てられないのであれば、保育園に預ける権利はあります。
しかし、あまりにも親の「子供を預ける権利」ばかりがクローズアップされ過ぎていると思わないでしょうか。
子供には「親といる権利」はないのでしょうか。

私は、不均衡を生まないためにも、所得に関係なく、3歳になるまでこども一人あたりに月10万円、二人目と三人目には8万円くらい、国から支給すれば良いと思っています。
あまりに野放図にこどもの頭数で支給額を増やすと不正や支給金目当ての出産など、必ずし趣旨に反して制度を悪用しようとする輩が出てくるので、現実的に働きに出て稼いでくる金額の補填する範囲に留めるため、上限は25万円くらいに設定するべきかと。それでも行政としては一家庭から2~3人の子供を保育園で預かるより、負担を軽減できます。

所得に関係なく、就業の有無に関係なく支給対象にはなるのですが、保育サービスを利用するのであれば、支給額に相当する受益があるとして、給付金は受け取れない。

すなわち、現金給付による扶助を受けるか、保育をサービスとして受けるかを選べるシステムです。
そうなれば、パートに出るためにこどもを預けるというニーズも減り、お金は自分で働いて稼ぎたいからこどもは預けたい、というニーズにも応えられます。

繰り返しになりますが、保育園はあくまでセーフティネットなので、子育て支援という枠組みや、両親の就労支援という観点で仕組みを作るのであれば、完全に別建てで制度設計をするべきです。その方が間違いなく良いものができます。

財源はどうするか、と言えば、当然従業員の子育てに汗をかかない企業への法人税増税と、浮いた分の保育事業予算を充てます。先程申しあげたように0歳児の保育が1人減れば、4人分(正確には複数人を預ける世帯もいるので、それ以上のコスト軽減になります。
ただし、企業内保育室を整備する法人については免除しても良いでしょう。
それに加えて、やはり0歳児は家庭で養育すべきです。国がすべきことは(=働く女性・男性たちが要求すべきは)、企業に1年間の完全育休の義務化を強制するとかです。
際限なく保育所を建てまくるのにお金を使うより余程良いです。

保育問題を見ていると、当事者は必死なゆえに、制度や社会への視点を忘れ無我夢中になりますが、何だかんだ言っても3歳くらいになれば熱も冷めてしまいます。
特養など高齢者の問題はかなり長期間当事者であり続けるので、熱も冷めにくい。
一時的な熱狂、現実を見るだけの知性を欠く、感情的な論調で、本質的な議論なしに進んでいく現状。
本当にそれが、こどもにとって、社会にとって、幸せなことなのでしょうか。

 

あと「日本死ね」って言われて何も感じないのでしょうか。

 

私はむかつきます。

 

感情論で論じるのであれば、それで終わりです。

そんな人が活躍する社会にはなってほしくないものです。

G30

G3030代地方議員

投稿者プロフィール

現役の若手地方議員。世の30代男性と変わらない漠然とした不安を抱えながら公務に携わっている。「匿名ならちったぁ面白いことを書けるのではないか」と見込まれてライター陣に誘われる。気弱だが保守系だ。

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