富田博之「普通の大学生だった私がミャンマーで就職した理由」(後編)
- 2015/10/14
- ライフスタイル
前編までの話はこちら
大学4年次に休学して、半年間海外を旅して、良い感じに「外」で羽を伸ばしていた筆者。
帰国後は就職戦線に復帰し、早々に就職先を決めて残りの大学生活を謳歌するはずが、就職活動に大苦戦。
ちょうど100社目に受けた企業でご縁があり、東京で社会人生活をスタートすることになりました。
東京の老舗商社で社会人生活スタート
私が就職した企業は、東京の下町にある老舗商社で、配属先は営業部でした。
中・高と運動部に所属はしていましたが、「ザ・体育会系」な組織に所属したことは一度もなく、入社してしばらくはその空気感についていけず、何度も心折れそうになりました。耐性があまりになかったのだと。
幸運だったのは、ラグビー部や野球部出身の優秀な良い同期が多く、入社してから在籍5年間何度も助けられ、切磋琢磨できたことでした。
今振り返っても同期がいなかったら、1年も持たなかったんじゃないかと思います。(笑
最初3年間は卸売専門部門で、営業先は街の小売店から、一部上場企業まで幅広く担当させて貰いました。
失敗を数え上げれば切りがありませんが、社会人駆け出しの数年で、営業以外にも注文手配、与信管理、在庫管理、納品管理、クレーム対応まで経験させて貰ったのは、大きな財産となりました。
この経験が今活きてくるとは、当時全く想像していなかったのですが。
どこで競争すれば一番になれるか考えるようになった
入社して2年目くらいで気付いたことがあって、「自分は普通のところで他者と競っても勝てないな」ということです。
例えば、当時全国に営業マンが200人はいて、東京の同じ部署に20人は営業マンがいました。
売上をあげている優秀な同期・先輩・上司を見ていて、ずば抜けた能力がない自分が普通に競争しても、勝てないと思っていました。
それくらいからですね。「競争するならそもそも相手がいない領域で戦おう」と意識し始めたのは。
これも幸運だったのが、社内のトップセールスとの同行によって、新規開拓の魅力に気付かせて貰ったことで、2年目からは顧客開拓を積極的にしていました。4年目からは、新設された新規開拓専門の部署に異動になり、そこで0から事業部の立ち上げに、携わらせて貰いました。
自分のやりたいことが分からず迷っていた
入社して4年半経ち会社にも馴れて、週末は趣味に打ち込み、それなりに充実感はありました。
ただどうも違和感があったんですね。「俺、本当にこのままで良いのか?」という。
その時に私の理想の将来は、「これから数年以内に運良く結婚ができたとして、数年後に子供ができて、その後は家族の為に平日働いて、休日は家族サービスと自分の趣味を少しはやって・・」というイメージでした。両親ともサラリーマンの家庭で育ったので、自分も両親と同じような道を歩むことが、無意識の中に決定されていました。
半年間くらい、「あーでもない。こーでもない」と葛藤しながら、よく仲が良かった同期に、話を聞いて貰っていました。
今振り返ってみると、あの迷っていた時期があったからこそ、今があると思えます。
やりたいことが分かって、「方向が違う列車」から降りることを決めた
さんざん迷った末、「自分が本当はどういうことがしたかったのか」と立ち返ってみて、辛かった就職活動の時のことを思い出したんですね。
それが【海外で働く】という選択肢でした。学生の当時思っていた、海外で働くことことが当たり前という世の中。
「そんな世の中を実現することが俺のやりたいことだった」と、ようやく気付いたんですね。
同時に、自分のやりたいことは、ここにはないとも感じてしまいました。
例えていえば、乗り心地は良いけど、方向が違う電車に乗っている感覚と言いますか。
だから途中下車して、違う方面に向かう電車に乗ることに決めたんですね。
獣道こそ挑戦しがいがある
海外で働くことが、日本だとまだまだマイナーなのは、「日本人の成功モデル」が少ないからだと仮定しました。
「だったら自分自身が成功モデルになれば良い」と思いました。この辺りは身の程知らずですね。
又、私の中で「海外で働く」と言えば、学生の時の経験と今後の成長率から、アジアを第一候補にしていました。
そのアジアの中でも、まだまだ成長の伸びしろがあり、日本人も少ない新興国で働きたいと思っていたところで、
人のご縁があり、日系IT企業のミャンマー支社立ち上げ業務をする、現職に就くこととなりました。
その為、よく聞かれることですが、もともとミャンマーに縁があった訳でも、行こうと思っていた訳でもありません。
結果的に今ミャンマーにいて働いているので、縁があったということですね。
とはいえ、こうやって飛び込んできたものの、数年で日本に帰任する駐在員とも違うので、ある意味獣道ですね。
先ほど「方向が違う電車に乗ることに決めた」と書きましたが、電車どころかレールすらないので笑、自分で切り拓いていく以外にありません。
まあそういった獣道だからこそ、挑戦しがいがあります。
現時点での自分の夢は、ミャンマーに限らずアジア全域で、自分が携わる仕事を展開することです。