富田博之「普通の大学生だった私がミャンマーで就職した理由」(後編)

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前編までの話はこちら
大学4年次に休学して、半年間海外を旅して、良い感じに「外」で羽を伸ばしていた筆者。
帰国後は就職戦線に復帰し、早々に就職先を決めて残りの大学生活を謳歌するはずが、就職活動に大苦戦。
ちょうど100社目に受けた企業でご縁があり、東京で社会人生活をスタートすることになりました。

 

東京の老舗商社で社会人生活スタート

私が就職した企業は、東京の下町にある老舗商社で、配属先は営業部でした。
中・高と運動部に所属はしていましたが、「ザ・体育会系」な組織に所属したことは一度もなく、入社してしばらくはその空気感についていけず、何度も心折れそうになりました。耐性があまりになかったのだと。

幸運だったのは、ラグビー部や野球部出身の優秀な良い同期が多く、入社してから在籍5年間何度も助けられ、切磋琢磨できたことでした。

今振り返っても同期がいなかったら、1年も持たなかったんじゃないかと思います。(笑

最初3年間は卸売専門部門で、営業先は街の小売店から、一部上場企業まで幅広く担当させて貰いました。

失敗を数え上げれば切りがありませんが、社会人駆け出しの数年で、営業以外にも注文手配、与信管理、在庫管理、納品管理、クレーム対応まで経験させて貰ったのは、大きな財産となりました。

この経験が今活きてくるとは、当時全く想像していなかったのですが。

どこで競争すれば一番になれるか考えるようになった

入社して2年目くらいで気付いたことがあって、「自分は普通のところで他者と競っても勝てないな」ということです。

例えば、当時全国に営業マンが200人はいて、東京の同じ部署に20人は営業マンがいました。

売上をあげている優秀な同期・先輩・上司を見ていて、ずば抜けた能力がない自分が普通に競争しても、勝てないと思っていました。

それくらいからですね。「競争するならそもそも相手がいない領域で戦おう」と意識し始めたのは。

これも幸運だったのが、社内のトップセールスとの同行によって、新規開拓の魅力に気付かせて貰ったことで、2年目からは顧客開拓を積極的にしていました。4年目からは、新設された新規開拓専門の部署に異動になり、そこで0から事業部の立ち上げに、携わらせて貰いました。

 

自分のやりたいことが分からず迷っていた

入社して4年半経ち会社にも馴れて、週末は趣味に打ち込み、それなりに充実感はありました。

ただどうも違和感があったんですね。「俺、本当にこのままで良いのか?」という。

その時に私の理想の将来は、「これから数年以内に運良く結婚ができたとして、数年後に子供ができて、その後は家族の為に平日働いて、休日は家族サービスと自分の趣味を少しはやって・・」というイメージでした。両親ともサラリーマンの家庭で育ったので、自分も両親と同じような道を歩むことが、無意識の中に決定されていました。

半年間くらい、「あーでもない。こーでもない」と葛藤しながら、よく仲が良かった同期に、話を聞いて貰っていました。

今振り返ってみると、あの迷っていた時期があったからこそ、今があると思えます。

 

やりたいことが分かって、「方向が違う列車」から降りることを決めた

さんざん迷った末、「自分が本当はどういうことがしたかったのか」と立ち返ってみて、辛かった就職活動の時のことを思い出したんですね。
それが【海外で働く】という選択肢でした。学生の当時思っていた、海外で働くことことが当たり前という世の中。
「そんな世の中を実現することが俺のやりたいことだった」と、ようやく気付いたんですね。

同時に、自分のやりたいことは、ここにはないとも感じてしまいました。
例えていえば、乗り心地は良いけど、方向が違う電車に乗っている感覚と言いますか。
だから途中下車して、違う方面に向かう電車に乗ることに決めたんですね。

 

獣道こそ挑戦しがいがある

海外で働くことが、日本だとまだまだマイナーなのは、「日本人の成功モデル」が少ないからだと仮定しました。
「だったら自分自身が成功モデルになれば良い」と思いました。この辺りは身の程知らずですね。
又、私の中で「海外で働く」と言えば、学生の時の経験と今後の成長率から、アジアを第一候補にしていました。

そのアジアの中でも、まだまだ成長の伸びしろがあり、日本人も少ない新興国で働きたいと思っていたところで、
人のご縁があり、日系IT企業のミャンマー支社立ち上げ業務をする、現職に就くこととなりました。
その為、よく聞かれることですが、もともとミャンマーに縁があった訳でも、行こうと思っていた訳でもありません。

結果的に今ミャンマーにいて働いているので、縁があったということですね。
とはいえ、こうやって飛び込んできたものの、数年で日本に帰任する駐在員とも違うので、ある意味獣道ですね。

先ほど「方向が違う電車に乗ることに決めた」と書きましたが、電車どころかレールすらないので笑、自分で切り拓いていく以外にありません。

まあそういった獣道だからこそ、挑戦しがいがあります。

現時点での自分の夢は、ミャンマーに限らずアジア全域で、自分が携わる仕事を展開することです。

富田博之

富田博之ミャンマー現地採用/支社長代理

投稿者プロフィール

86世代。東京都生まれの埼玉県所沢市育ち。

大学4年時に1年休学し、バックパッカーとしてアジア・アフリカ・中東を放浪。
大学卒業後は都内の東証一部上場の商社に5年間勤務。

新卒就職活動時に感じた、「働く国がなぜ日本じゃないといけないのか?海外で働くという選択肢がもっと当たり前になっていても良いんじゃないか?」という問題意識から、前職を退職後に日系IT企業に転職。

同時に2015年7月から、ミャンマーの都市ヤンゴンで、支社立ち上げ業務に従事。

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